
心の底をのぞいたら (ちくま文庫)
なんでこの本を買ったんだろう?
いえ、決して後悔しているのではなく、逆に本書との出会いに感謝している。
1992年に出ている。少年向けの本であるが、もっと早く読んでおけば良かったと思う。
著者も後書きで書いているが、
『...子供の本を安易に考えていたぼくは、突きとばされたような気分だった。そして、いわゆる「くだいた本」「やさしく書いた本」を書いてはなるまい、と思ったのである。 』
つまり、文体は易しいが、内容に関しては『心と真剣に向かい合い、初めて覗くための基礎』を指南するものであると思う。
ユングやフロイトを読む前に読んでおけば良かった。息子にも勧めよう。
さて、心に響いた文を引用してみる。
『ぼくは、はじめのところで、人間のこころを海にたとえて話をした。』
『こころについて話をするなら、わざわざ海などをたとえに持ってこなくてもいいだろう。直接、こころの話をすればいい。』
『それができるなら、それがいいにきまっている。だが、それができるだろうか。できはしないのだ。』
『こころは、目で見ることも、大きさを測ることも、手で触れることもできない。』
『たとえ抜きで、こころのことを話そうとしてみたまえ。君も、それがどれだけむつかしいことか、すぐにわかるはずだ。』
『今までに、こころの底をさぐってきながら、君は、人間のこころが、その奥のほうで動物的な本能とつながりがあることを知ったわけだ。』
良くわからないが、「小人恐るべし」と言う言葉が頭に浮かんだ。

教育問答 (1977年) (中公新書)
教育は大切だ。
人は皆そう言うが、教育とはそもそも何のためのものなのか?
という根源的な問いに始まる対話型の本。
日々漫然と勉強している学生の自分には、ドキッとさせられるようなことばかりでした。
人が教育を受けるのは「自分のため」だが、国が国民に教育を施すのは「国のため」。
そのことをきちんと認識して、「自分のため」に必要なことを”主体的に”学んでいかなければいけない。
教師はそれをサポートする、”見守る”のが仕事なのだと。
これは教師はもちろんですが、学生である自分にこそ必要な考えかもしれません。
後半はしつけについての話もされます。本書によると、しつけと教育の根本的な違うのだと。
教育(学習)は本質的に「自分のためのもの」で、しつけは「他人のためのもの」。
だから、混ぜこぜにして考えてはいけないと著者は指摘します。
言われてみればその通りです。
「誰が」「誰のために」「何を」自明のことと思われていたことをよく考え直してみれば、実に多くのことが見えてきます。
それを足がかりに、現在の教育制度、受験戦争、高校・大学には行くべきかなど、様々な批判が展開されていき、どれも興味深いものです。
内容に少し古いところが散見されますが、本書の本質的な問いかけは現代でも通用します。
教育はすべての人に関わりがあることです。古い本なのでなかなか見ないかもしれませんが、対話型なのでさらっと読めますし、機会があれば、一読してみることをオススメします。

権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)
「権威」と「権力」と聞けば、はじめに政治学の専門分野と捉えてしまうかもしれないが、本書は、権威と権力を親子関係といった普段の生活意識に基づくものから、職業やメディアそして政治までを巻き込み、幅広く身近に見つめなおそうと試みている好著だ。
高校生と医者の二人の対話という設定で議論が進んでいき、医者がやさしく諭しながら話しをリードしていくので、初め「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)的雰囲気が頭に浮かんだが、後半に進むにつれて高校生の質問や考え方もかなりしっかりしてきて、こと後半の政治に関することでは、その内容による時代背景の違いにやや戸惑うかもしれないが(1974年初版)、ほぼ対等に議論を交えることに驚きを覚える。
とはいってもやはり、本書の魅力は、権力と権威をずっと身近に感じて考えることだ。
「〜の権威が失われた」と簡単に耳にするが、それを回復することとは?
「海外は〜だから、日本も〜するべきだ」といった言葉に潜む権威やそれに対してどう考えればいいのか?
人が権威を信仰してしまう心理的背景とは?
個人的に印象に残ったところは、「組織は感情もなく意思もない」と語られた部分。つまり組織や集団を擬人化するのではなく、「組織の意思は個人の意思」と客観的に考える視野である。情報過多の時代だからこそ、権威や権力によって自分を見失うことなく生きていくために、本書を是非多くの人に勧めたい。