フレンチ・ナイト [DVD]
2008&2010ウイーンフィルのNYCでお馴染み?になったJ.プレートルさんと出会った演奏です。様々な作品を通して紹介されているアーティストでは無かったので強烈な印象でした。
結論から申しますと、NYCで感銘を受けた方には絶対にご覧頂きたい記録です。
プレートル翁とBPOが紡ぎだす出すサウンドは「薄暮の野外ホール」の独特の雰囲気と客席の自由な盛り上りも相まって、とんでもない世界を創って行きます。
専門家ではないので適格な表現は出来ませんが、特にビゼー作品やボレロは「最高の気持ち良さ」を与えてくれる演奏で、アンコールで演奏される「ホフマンの舟歌」は極上のデザートとしてエレガントに奏されます。
そして…フィナーレはラデッキーとベルリンの風、この様なコンサートで音楽を楽しめたら幸せだろうな!と羨ましい気持ちになってしまいます。
ただ不思議な事に、20年近い間に何回もこの演奏を見ている内に、記憶の中で「この日ベルリンに居た様な…」錯覚に陥って、一筆お薦めのメッセージをシタタメました。
エヴリディ・バッハ~究極のバッハ・ベスト
バッハなら何でも聞いていたい、という私には嬉しい企画のセットです。バッハ作品のCDはたいてい持っていますが、ショップで見て思わず買ってしまいました。仕事をしながら、BGMのようにバッハをかけたりしますが、無伴奏にしようか、それともきょうは合唱曲の気分かと、迷ったり、あるいは聞いていてCDを替えたりする、そんな手間も気遣いも要りません。お任せで、いろいろ聞けて、しかも全部バッハです。なんとぜいたくなこと。
7枚のCDはSUNDAY「新しい1週間に向けて」からSATURDAY「心豊かな週末」までの1週間という趣向で、バッハ作品がジャンルを超えて組み合わせられ、1枚が70分前後です。無伴奏ヴァイオリンの「シャコンヌ」などは水曜日にはピアノで、土曜日にはシェリングのヴァイオリンで聞けます。もちろん15分ほどの演奏フルで入ってます。よくある寄せ集め名曲集のようにサワリだけなんてことはありません。逆に、平均率クラヴィーアを1時間も2時間も聞き続けたいわけではなく、20分も聞いたら、チェロが聞きたい、コラールが聴きたい、というわがままな聴き方が出来ます。(きっと本格的なバッハファンは邪道とおっしゃるでしょうが、大きなお世話です。)
今、フライシャーでピアノ版「シャコンヌ」が終わったら、グールドの「ゴールドベルク変奏曲」のアリアが聞こえてきました。これで水曜日はおしまいです。いいですねえ。心豊かな気持になります。
トゥー・ハンズ
「ジストニア」(局所的筋失調症)と呼ばれる右手の運動神経障害のため、1965年に第一線の演奏活動から退いたピアニスト、レオン・フライシャー(1928- )。治療によって右手の演奏能力を取り戻し、“両手”によるソロ演奏として、40年ぶりに録音したのが本CDです。
2004年の6月4日から6日にかけて、ニューヨークで録音されたDISC-1の7曲。「今、こうして、ピアノを両手で弾くことができる喜び、その有り難さ」を深く感じて演奏しているピアニストの思いが、それぞれの曲にこめられているようで、胸を打たれます。バッハのコラール2曲、スカルラッティの「ソナタ」、ショパンの「マズルカ」と「夜想曲」、ドビュッシーの「月の光」と続く小品の演奏がとりわけ素晴らしく、心にしみとおる味わいがありましたねぇ。感動しました。
DISC-2のラヴェルは、右手の障害が治る前、左手のための曲のピアニストとして演奏活動を再開した1982年の録音。録音の違いのせいか、DISC-1に比べて、かなり音量を上げて聴きました。“両手”によるDISC-1のピアノのような、一種特別の味わいというのは感じませんでしたが、幻想的な曲の雰囲気をよく捉えた演奏で、聴かせます。
収録曲の思い出を演奏家が語った文章をはじめ、ライナー・ノートの文章も読みごたえがありましたね。次に引用するのは、このアルバムの基本的な性格について、レオン・フライシャーが語った言葉からのものです。
<この30年か40年を乗り切るために私が必要としたのは、手の数、指の数というものをあまり重視しないで、音楽を音楽たらしめているその根本に立ち戻ることだった。(中略)楽器編成は重要でなくなり、音楽の中身、内容がより大切になる。>(訳:渡辺 正)
ヴァルトビューネ1992 フレンチ・ナイト [DVD]
毎年6月、ベルリン市のオリンピックスタジアムを中心とした公園の一角にある野外音楽堂で開かれるベルリンフィルの春シーズン終了を告げるコンサート。毎年指揮者が変わる中でこの92年盤はジョルジュ・プレートルだった。最近ではウィーンのニューイヤー・コンサートで史上最高齢の指揮者として馴染みのあるこのマイスターが選んだのは宝石箱のような燦めきを持った作品ばかりだった。
緑の森に包まれた中から聞こえてくるかのような『ボレロ』それを挟む形で演奏される『カルメン』そして毎年のニュー・イヤーではお馴染みの『ラデツキー』とアンコールの『ベルリンの風』。
NHK教育テレビでの放送を見てCDショップに行き『ラトルのロシアン・ナイト』を探したが映像化されておらず、偶然に見つけたのがこのタイトルだった。誠実さと同時に音楽を心底から楽しみ、そして音楽の先人達に敬意を払う姿さらにプレートルと音楽の巨匠達がその対話を楽しんでいるかのような表情が画面を通して伝わってくる。
日本でも“フォルジュルネ”が定着しつつあるがそれでもまだまだクラシック音楽が身近な存在であるとも言い切れない。かく言う私もクラシック音楽に関してはさほど詳しくもないが、聴いていて心地よいモノであるならばそこに“テクニックがどうのこうの”であるとか“録音状態が〜”と重箱の隅を突くような姿勢には疑問を感じてしまう。そんな時には「ではアナタに彼のような演奏ができますか?」と切り返したら、それは意地悪な質問だろうか。
画面からは指揮者もオーケストラメンバーも聴衆も共に音楽を楽しむ様子を十分に受け取ることができる。そこにあるのは“飾り物としての音楽”ではないと思う。いつから日本ではアートを飾り物として扱うようになってしまったのだろうか。
シューマン&グリーグ / ピアノ協奏曲
私にとってこれが最高の一枚です。双手のピアニストとして甦ったフライシャーの姿をテレビで見て感動しましたが、両手であろうと片手であろうとこの人の音楽的思考に変わりはありません。一点一画もゆるがせにしない楷書の演奏、という点でフライシャーとセルには親和性があり、シューマンの香気がそうした緻密な演奏の中から漂ってきます。同じコンビによる「パガニーニの主題による変奏曲」も素晴らしい演奏です。