
夜と霧 新版
これほどまでに深い感動を与えてくれた本に巡り合えたことに感謝します。フランクルの体験に基づく生きる事の意味の定義は、実に平易で説得力があり、心に奥深く刻み込まれました。人として耐えきれない程の受難を受けたにもかかわらず、冷徹に人を見据えながら見い出したフランクルのまなざしは、愛することの大切さ、未来への希望を失わない事が生きる力となることなど、沸き上がるほどに生きる勇気を与えてくれます。

Digitalian is eating breakfast 2
50を過ぎてもぜんぜん古くない、小室らしさが衰えてない。
そう思える内容だったのは事実です。
ですが、1曲1曲が軽い感じであまり聴いてて残る曲が少なかったのもまた事実です。
多くの人が言ってるように、まずはラップだらけ。
あとはインストみたいな軽い曲の数が多いので、
完全な歌ものを期待する人は見事に裏切られると思います。
ですが唯一、「Carry on」だけはしっかりと歌い上げていて、
しかもこれは80年代末に発売された前作の中に入っててもおかしくないような、
とても懐かしくもあるうえに、これぞ小室というメロディーが素敵な1曲で、お薦めです。
個人的にはこの曲があったからこそ、手にして良かったアルバムだとは思いましたが、
逆にこの曲がなかったら「駄作」だと思いました。
次作のソロアルバムがあるのなら、
この「Carry on」みたいな歌ものだけで占めるようなアルバムを作って欲しいです。
あくまで方向性の問題なので、上記したように小室氏の「衰え」とかはまだまだ感じません。

いまこそハイエクに学べ: 〈戦略〉としての思想史
ハイエクという人物については、その名前と『隷属への道』という著作があること以外、西部邁氏に関連した話でその名が取り上げられていた(著者が本書の冒頭でも触れています)という記憶程度しか持ち合わせていなかったこともあり、多少なりともその思想の一端に触れてみたいと思い本書を手にしてみました。
サブタイトルと関連すると思いますが、著者によれば、ハイエクの思想は単純な体系化や分類には馴染まないそうで、寧ろ自らの「自由」観の明確化・正当化を思想史・解釈学的なスタンスから意識的・戦略的に行おうとしてきた人、と捉えた方が相応しいらしく、本書もそういう観点から叙述がなされています。
具体的には、ハイエクの著作を参照しつつ、章毎に概ね、
1.設計主義・集産主義の傲慢さへの批判:英国的自由主義vsドイツ的集産主義〜社会主義。
2.真の個人主義(古代アテネの「イソノミア=法の前での平等」を源とする初期古典派経済学に由来し、自生的協力をを通しての制度形成を信頼)vs偽りの個人主義(デカルト的合理主義に由来し、普遍的理性に信頼を置きつつ契約に基づいて「社会」をゼロから設計・再構築できると考える)。
3.マンデヴィル〜ヒュームの「ルール進化」論(効用の予見できない文化的進化の過程で、一般的ルールは生まれてくる)と、そのルールの進化と連動して「理性」も進化するという立場を取る「進化論的合理主義」の提唱〜小さな社会の「エコノミー」から大きな社会の「カタラクシー」へ。
4.コスモス」(=自生秩序)に対応する英国コモン・ロー的「ノモス=自由の法」と、「タクシス」(=組織)に対応する「テシス=立法の法」という法概念の区分。前者と相関を有し、進化によって形成されてきた「正しい振る舞いのルール」に基づくハイエクの消極的正義観と、それと対立する後者に源流を持つ法実証主義の積極的正義、社会的正義。さらにはロールズの正義論との関係。
そして、最終章で現代思想と絡めてのまとめ、という展開になっています。
評者のレベルが低いという事情もあり、著者の描くハイエク像の正否についてはコメントできませんが、本書により評者の近代西洋思想史に関する蒙昧が一定啓かれ、見晴らしのよい展望が得られたのは確かな気がするため、★5つと致します。