
連合赤軍「あさま山荘」事件―実戦「危機管理」 (文春文庫)
連合赤軍とか、あさま山荘事件とか、事実として概略は知っていましたが、
自分が生まれる前の話なので、時代背景とかピンとこないところもあったんですよね。
“あさま山荘”だけが独立した事件ではないので、
担当指揮官としては流れを追わざるをえないんでしょうけど、
時系列がよくわからないので、読んでいても、話がいろんなところに飛んで軽く混乱しました。
佐々淳行さんは、決断力・統率力もあって、仕事もものすごく出来て有能な方なのですが、
それが文章に滲み出ていて、ちょっと鼻につくかも。
でも全体としては、亀井静香さん、後藤田正晴さんなど知ってる名前が出てきたり、
現場のこまごまとした雰囲気も伝わって来るし、
事件そのものの緊迫感もすごいので、とても興味深く読みました。

わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト (文春文庫)
佐々淳行さんだから書けた後藤田正晴伝だと思う。気骨の人同士の緊張感と節度ある友愛が伝わってくるようだ。
後藤田正晴官房長官、佐々淳行内閣安全保障室長のとき、官房長官の初訓示がいい。一.「省益を忘れ、国益を想え」。二.「悪い、本当の事実を報告せよ」。三.「勇気を以って意見具申せよ」。四.「自分の仕事でないというなかれ」。五.「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」。
大島三原山大噴火のときの、危機管理対応の章は息詰まるような臨場感がある。国事に携わるとはどういうことかを示しているようだ。
人間性は、その人が語る人物評に出るという。後藤田正晴の島田叡氏(戦時中、最後の沖縄県知事)評。「旧内務省にはえらい人がおった。たとえば、米軍上陸がわかっとるのに最後の沖縄県知事として赴任した、島田叡さんという人がおる。前任者は病気とかなんとかいうて逃げて本土に帰ってきてしもうた。内務省は困ってしもうていろんな人に打診するが、引き受けるものがおらん。そこで島田さんに白羽の矢が立ったんじゃ。島田さんは断らんかった。行けば死ぬの分かってるのに単身赴任して、上陸作戦が始まるまでに一人でも多く県民を救おうと、学童疎開やったり、台湾から食料調達したり一生懸命働いた。米軍上陸の直前、非戦闘員の撤収が行われたんだが、島田さんは県民と一緒に残る、いうて脱出せなんだ。そして摩文仁の丘で死ぬんよ。戦死とも自決ともいわれとる。未亡人になられた島田さんの奥さんは子供を育てるために魚の干し物の行商をやってな。ワシらも貧乏でどうもならん。せめて少しでも足しになりたいというてみんな申し合わせて魚の干し物、買ったよ」。
こういう時代だからこそ、読まれるべき名著だと思う。